いつのまにかつつまれている

重なりあった時間

折りたたまれた記憶

声は、とどかない

玉乃井とは

海辺の木造旅館、筑百年を超す玉乃井

津屋崎の旅館・別荘

 海辺の町である津屋崎には、明治から昭和にかけてたくさんの旅館がありました。
 宿泊はもとより、潮湯(海から取り込んだり、井戸などで汲みだした海水を沸かして風呂にするもので、皮膚や健康によいと評判だった)や飲食の場として、また宴会や結婚式の会場としても使われてきました。夏には磯遊びや海水浴も大人気、冬は魚が楽しみでした。名前がわかっているものだけでも「不老館(後に人気亭)」、「玄洋館(後に朝日亭)」、「塩屋」、「第一島屋」、「筑水館」、「大社」、「天野屋」、「浦島館」、「太田屋」、「中徳(後にマルヒョウ)」、「人気亭」、「正直亭」、「マルヒョウ」、「守田館」、「さぬき荘」、「第二島屋(後に玉乃井)」等がありました。
 昭和19年(1944年)の関門トンネル本抗掘削貫通記念の祝賀宴がこの一帯の旅館を使っても開かれたという記録もあります(その後敗戦でトンネル工事は中断、戦後1958年に完成)。
 また一帯には海辺の別荘、炭坑関連施設なども多く、伊藤伝右衛門などの別荘もあったようですが、現在は津屋崎に筑豊御三家といわれた麻生家の別荘、福間には炭坑主だった堀三太郎の別邸(現在の福間病院内)が現存するだけです。

 


現在の旅館

 2015年現在、旅館としては「正直亭」が営業を続けるのみであり、建物としてもかろうじて「筑水館」と「玉乃井」等が残っているという状況になっています。60年代まで活気があった旅館群も70年代以降に次々に閉鎖、解体されてしまいました。
 半公共的な施設ですから、外からみえるお客さんにとってだけでなく、町や地域にとってもなくてはならない施設であり、結婚式や町の行事で利用した人たちの大事な想い出のひとつにもなっていたものが、今は建物すらない状態です。様々な時代の記録そのものであり、多様な記憶が積み重なっている場だという意味でも現存する玉乃井は貴重な存在といえるでしょう。
 また、福岡県北部沿岸は玄海国定公園でもあり、糸島から福岡市、津屋崎、北九州市にかけて総2階全面ガラス戸の旅館が多数ありましたが、現存するのはわずかであり、かつアルミサッシへの改築もしていない古い形をとどめる建物はほとんどないといっていい状態です。改築をくり返しつつも、海に面し全面ガラス戸を保っている玉乃井はそいう古い形をとどめています。

 


玉乃井

 玉乃井(旧第二島屋)の正確な建築年はわかっていません。戦後昭和21年に祖父である安部正弘が「第二島屋」を買い取った時点で、「45年経っている」と聞かされていたようで、それからすると明治34年(1901年)頃になります。いずれにしろ登記簿には明治42年(1909年)5月6日付けの、第2島屋の持ち主であった八尋シカさんによる登記の記録がありますから、それ以前ということになります。
 買い取り後「玉乃井」として営業を始め、その後隣接していた海の家を昭和38年に買い取ってつなげ別館としています。そこは昭和8年に登記の記録がある「一の荘」とよばれた旅館で、38年当時は明治鉱業(旧平山炭坑)の夏の家として、厚生施設として使われていました。ここにも筑豊や炭坑と津屋崎のつながりがみえます。この別館を解体する時に、全館を使って開催された現代美術展では、かつてこの「一の荘」を利用していた炭坑マンと巡り会うことができ、別館(かつての一の荘)でシンポジウムが開かれました。

 


地域の記憶

 福岡、北九州、筑豊などからの大勢のお客だけでなく、地元の人々にもおおいに利用され、その思い出はいろんな人のなかに残っています。ここで結婚式をあげたカップル、披露宴を開いた人たち、結婚式の後に離れに泊まった想い出を持つ方。小倉学芸大附属小学校の林間学校でのカレーを今も思いだす人。黒崎窯業の社員旅行では麻雀大会もあった、もちろんおおいにのんだ、と語られる人も。不摂生になるからと正月に玉乃井で必ず合宿をしていたのは黒崎窯業のマラソン部でした。戦後、玉乃井になってからだけでも様々な記憶が重なっています。

 


多彩な客人

 様々な人が訪れた玉乃井ですが、著名な人の記録も少し残っているようです。戦後派の作家で「桜島」などの名作で知られる福岡出身の梅崎春生は疎開で津屋崎町に住んでいた頃、安部家の親戚とも交流があったので、玉乃井には少なくとも立ち寄ったことはあったただろうと推されます。
 TVの美食巡り番組のはしりでもあったKBCの「ふるさとのメニュー」では津屋崎のたこ料理として紹介されました。紹介役の石井よし子さんは玉乃井での録画の後、船の上に屋形船を模して造られていた離れの「日の間」に泊られています。69年公開の映画「日本大海戦」のおりに東郷神社にお参りにみえたスタッフや三船敏郎、笠智衆といった昭和の名優たちも玉乃井に立ち寄られており、写真も残っています。

 


現在の玉乃井

 旅館としての営業は96年に終え、老朽化が進んだ別館、「船の家」と呼ばれた離れ(漁に使われていた漁船を土台に、その上に屋形船を模して部屋が二間造られていた)、大浴場は残念ながら解体されました。かろうじて保存されている本館では、様々な催しを行いながら開放し、近隣の人だけでなく、遠方からの訪問者にも開かれています。すでに10回を超えた「津屋崎現代美術展」などの美術展の開催(現代美術を中心にした企画展、地域の美術作家、写真家などの展覧会など)。企画展の他にも、こういった特殊な場、古い日本家屋においての表現に興味を持つ作家に会場を提供してもいます。時間が積み重なり、モノと記憶に溢れている所、今も地域とのつながりを保ち、開かれている建物での表現活動は建物、美術家の双方にとって刺激的です。

 ヴァイオリンやリュートのコンサート、レコードコンサート等の開催。また地域で行われている「音楽散歩」と銘打った古い建物を使っての音楽会でのリュート演奏、アイリッシュ・ハープ演奏などの会場として応接室や広間を提供したりもしています。
 週末には建物を見学などに開放しカフェもやっていますが、カフェは1階の応接室だけでなく、どこでも希望する部屋でできるようにし、海を眺めながら珈琲を楽しめます。70、80年代を中心にした本が多い書庫も出入り自由で好きな本を手にとって読めます。応接室では「モーツァルト全集踏破」と銘打って全曲を週末ごとに聴いていく試みも行われました。福岡市、北九州市、筑豊地方だけでなく、大分、熊本、東京などからもお客さんがみえています。
 夏の福津花火大会の日は、2階の大広間に集まって遠目に花火を見る会が毎年開催されています。海のそば、冷房のない畳の広間で団扇片手に持ち寄った手料理を楽しみながらの宴会は、まさに日本の夏そのものです。また小規模な映画鑑賞会も開かれていて、作品の鑑賞だけでなく、主催者の解説や終わってからの懇談があり幅広い人を集めています。他にも「LP・CDを聴こう語ろう会」「秘蔵映像を見るぞう」会なども開かれています。

 


これから

 ご多分に漏れず、玉乃井も改築や増築を重ねていますが、中心になる棟はほぼそのままの基本構造で残っており、土台はまだしっかりしています。改築が重ねられて今にいたっていますが、以前トイレだったところが1963年に布団部屋になり、それが2015年、再度トイレに戻りました。以前のトイレのタイル壁などが一部残っていたので、それを残しての新しいトイレに生まれかわったわけです。不思議というか愉快なつながりでもあります。
 これからもなんとか維持保存しつつ、地域のなかで活用し続けていきたいと思います。 
 
2015年11月 安部文範